2011年4月26日火曜日

江戸川乱歩も驚いた!? シュメール語訳『古事記』の謎(1998.6.18)

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『古事記』(こじき・ふることふみ)を皆さんはご存じでしょうか? 天武天皇の勅命により語部(かたりべ)・稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習し、太安万侶(おおのやすまろ)が撰録した歴史書で、元明女帝の時代・和銅5(712)年に完成しました。当時はまだ「仮名」が無かったので、漢字一字で一音を表す「万葉仮名」で書かれていました。この『古事記』、日本語で読めるのは当然ですが、なんと、はるか中東のシュメール語でも読めると言うのです。と言う訳で、今回は謎を秘めたシュメール語訳『古事記』に触れると共に、日本とシュメールの関係について考えてみたいと思います。

ずは、「百聞は一見に如かず」と言う事で、シュメール語訳『古事記』の一例を紹介してみたいと思います。

豊玉姫(トヨタマヒメ)の歌
原文 漢文語訳 シュメール語訳 シュメール語の日本語訳
阿加陀麻波袁佐閉比迦礼杼斯良多麻能岐美何余曽比斯多布斗久阿理祁理 赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり aka dam,u sur gig rag.si lig dam kin gi u gush tab tuku ur,kil.
(アカ ダマユ サエ ヒガ レジ シ ラジ ダマ キン ガ ユ グシ タブ トク アルケル)
私の愛した夫よ、宮中の僧侶は(あなたが)病気だから祈祷をすると、布施をせがみます。私の大君よ、もっと度重ねて消息を聞かせて下さい。手紙を頂くのを、心待ちに致しております。
火々出見命(ホホデミノミコト)の返歌
原文 漢文語訳 シュメール語訳 シュメール語の日本語訳
意岐都登理加毛度久斯麻邇和賀韋泥斯伊毛波和須礼士余能許登碁登邇 沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝(ゐね)し 妹(いも)は忘れじ 世の事毎に uk-kin dur! gan dug sim i gi en-gia! imme-li gaz su-lug il,ni-kudda
(オツキン ドル ガン ドク シム ア ガ イネジア イメ ハ ス ラジ ユ ノクダ)
水は皆清く、光り輝いている。私は酒浸りになっている。里帰りの人(豊玉姫)よ、思い返しなさい。(今は)憂さ晴らしに人民の税金を高くして、酒に歓楽を求めている。
どうでしょうか? 日本語(和歌)で読める文面が、シュメール語でも読めてしまうのです。もっとも、日本語訳とシュメール語訳ではまるっきり意味が 違ってきますが・・・。さて、皆さんの中には「和歌の様な七五調になっていないではないか」とおっしゃる方もおられるでしょう。しかし、古事記』の原文は万葉仮名で延々と綴られているだけで、句読点も何も付いていないのです。つまり、どこで区切って読むかと言う指定がされていないのです。どうして、その様な指定がなされていないのでしょうか? 第一に考えられる事は、漢文調表記だったから。第二に考えられる事は、当時、「句読点」という概念が無かったから。そして、第三に考えられる事−私はこれだと思うのですが、あえて」区切らなかったのでは無いか。





区切られていない文は解釈次第で意味が変わってくる

かれたかしのことがきになる

  • 枯れた樫の事が気になる (かれた/かしのことが/きになる)
  • 彼、タカシの事が気になる (かれ/たかしのことが/きになる)
上記の様に、「かれたかしのことがきになる」と言う文は二通りの解釈が出来ます。『古事記』の編纂についても、このレトリック(技法)が用いられたのでは ないでしょうか? 絵画の世界でも、「騙し絵」と言うレトリックがあります。一見すると「慈悲深い聖母」なのが、見方を変えると「嫉妬と憎悪に狂う悪魔」 に見えたり・・・と。つまり、『古事記』では、一つの文面に区切り方を変える事で、二つの意味を込めたのではないでしょうか? では、なぜ『古事記』がシュメール語で解釈できるのでしょうか?
ュメール。この国(及び民族)は大きな謎に包まれています。彼らは人類史上、最古の文明を興しました。そして、文字(楔形文字)・文学・王政・司祭・教育制度・医学・天文学・高層建築・運河・造船・集約農業・冶金術・商工業・貿易・法制・・・と、現代文明にも匹敵するありとあらゆるものを持っていたのです。それも、何と6000年以上も前に。更に謎なのが、これだけのレベルを持つ文明でありながら、先行文明がなかった事です。どう言う事かと言うと、「チンパンジーがある日突然、コンピュータを作り、そして、使いだした」様なものなのです。つまり、何の前触れもなく、ある日突然、シュメール文明は始まったと言う事です。では、どうして突然、シュメール文明は始まったのでしょうか? その鍵は「建国神話」(史実)に隠されていたのです。

ヌンナキ。シュメール神話はこう伝えています。「ニビルと言う星からやってきたアヌンナキと言う人々が人類を作り、そして、地球文明(シュメール)を興した」と。とりあえず、アヌンナキやニビルと言った事は割愛しますが、このシュメール神話に出てくる説話と同じものが、『記紀』(『古事記』・『日本書紀』)にも登場するのです。いわゆる「天孫降臨」伝説と呼ばれるものです。これは簡単に言うと、「天(宇宙?)から来た神々が日本列島を作り、そこに降り立って日本を建国した」と言った内容です。『記紀』に描かれた「天孫降臨」の模様は、どちらかと言うと寓話的ですが、「古史古伝」の雄・『竹内文書』には、シュメール神話と瓜二つの説話が登場します。そして、どちらも「当時」の「世界」を支配したと言った内容なのです。すると、一つの仮説が浮かんできます。日本とシュメールは元は同じ国家・民族だったのではないか? 何しろ、シュメール人がどう言った民族(人種)だったのかと言う事自体、確定されていないのですから・・・。

本とシュメールは同祖だった。この突飛共思える仮説は何も「神話」だけが 論拠ではありません。例えば、シュメール人は民族としての「統一国家」を持ってはいませんでした。彼らは現在のイラク南部・ペルシア湾岸のデルタ地帯に、 エリドゥ・ラルサ・ニップール・バド=ティビラ・ララク・シッパル・シュルッパグ・ラガシュ等の「都市国家」を営み、都市国家間で「盟主」の座を巡って覇 を競い合いました。これは、明治維新以前の日本と同じ国家形態です。政治面では、水戸・尾張・薩摩・長州と言った「藩」があり、対外的には「日本」と言う 「顔」を持つ一種の連邦制の様なものです。次に、彼らの行方です。彼らシュメール人は北から進出してきた異民族勢力によって、国を滅ぼされてしまったのです。しかし謎なのが、国を失った後の行方です。何十万・何百万と言うシュメール人が煙の様に消えてしまう筈がありません。しかし、現実にその後の中東史には二度と登場しません。そこで考えられるのは、中東の地を去り、どこかに移住したのではないかと言う事です。そして、その「終着駅」が日本だったのではないでしょうか?

ュメール人が日本へ移住した? 本当にその様な事があったのでしょうか? 今となっては確かめ様もありませんが、少なくとも満州(大陸)迄の足跡は残されています。その証拠は、朝鮮版「古史古伝」の一つ、『桓檀古記』の記述です。





『桓檀古記』中「三聖紀全 下巻より
「『古記』に云ふ、
「波奈留山が下(もと)に桓仁氏の国有り。天海以東の地は亦、波奈留国と称す。其地広さ南北五万里、東西二万余里也。総言すれば桓国(韓国)也。分言すれば則(すなは)ち卑離国、養雲国、寇莫汗国、勾茶川国、一群国、虞婁国(一に畢那国と云ふ)、客賢汗国、勾牟額国、売勾余国(一に稷臼多国と云ふ)、斯納阿国、鮮稗国(一に琢韋国と称す。或ひは通古斯国と云ふ)須密爾国、合はせて十二国也。天海は今、七世に伝へ、年を歴(へ)ること共に三千三百一年、或ひは六万三千一百十二年と云ふ。未だ孰(いず)れか是なるを知らず」と。」(原漢文、以下略)
この中に登場する「須密爾国」(スミル)こそが、シュメール(スメル Sumer)の事なのです。しかし、これでも、「シュメール人が日本に移住した等と信じられるか!?」とおっしゃる方もおありでしょう。そんな方の為に、更に証拠をお出ししましょう。それは「国名」です。何と古代日本とシュメールの国名は同じだったのです。





古代日本とシュメールの国名は同じ?

古代日本 葦原之中津国(アシハラノナカツクニ)
シュメール Ki-En-Gi-Ra(キ・エンギ 「葦原之中津国」の意味)
どうでしょう? 両者の国名は同じ意味を持っていたのです。

一般に「シュメール」と呼ばれていますが、シュメール人自身は自分達の国を「キ・エンギ」(葦原之中津国)と呼んでいました。「シュメール」と言うのは、周辺民族側の呼び方で、「ニッポン」を「ジャパン」等と言うのと同じな訳です。
上、日本とシュメールの関係について、簡単に(本当)見 てきましたが、如何だったでしょうか? もし、日本とシュメールが同祖であり、シュメール人が祖国滅亡後、日本列島に大挙移住したと言うのなら、『古事 記』がシュメール語で読めても、ちっとも不思議ではないのです。又、現代日本語と平安時代日本語では、外国語同士の会話と言うくらいギャップがありました し(我々が古代日本にタイムスリップしたら、全く言葉が通じない)日本語自体、多くの外国語を吸収・昇華発展してきた訳ですし(「テレビ」等は今では立派な日本語)、シュメール語が現代日本語に「埋没」(吸収)してしまったとしても、何ら不思議ではないのです。

参考文献

  • 復元された古事記(前波仲尾 地下出版物 1942)
  • 謎の出雲帝国(吉田大洋 徳間書店 1980)
  • 謎の竹内文書(佐治芳彦 徳間書店 1979)
  • 桓檀古記(鹿島昇 新国民社) 

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